今まで何度か溺死体を見たことがあるが、あれはその中でも、一等美しい死体だった、と、網の中に死体を発見した漁師は語った。 魚に食い荒らされた跡も、ガスで醜く膨らんだ箇所も無い。まるで眠っているようで、てっきり、真珠貝の中で眠っていた人魚を 引き揚げたかと思った、と。

 しかし、確かに死んでいた。同じ船に乗っていた仲間も確かめたし、陸に上がって見せた医者も、断言した。 それなのに、その数時間後、独りでに息を吹き返した時の驚きと言ったら。目蓋が開いて現れた瞳は、息を呑む程美しい緑色だった。

 その言葉を聞いた時のキリエの表情を、テクラは今でも忘れることが出来ない。

 しかし、イオキが引き揚げられたというエイゴンの港町にレッド・ペッパーが上陸した時、すでに彼はいなかった。 聞けば、シナイ山山中のミドガルドオルムという小さな町に住む、テッソという男が、彼を引き取ったと言う。即座に レッド・ペッパーはミドガルドオルムへ向かった。だがシナイ山の麓に着けば、今度はミドガルドオルムが封鎖されていて、 中に入れないと言うではないか。

 テクラがついたため息を耳ざとく聞きつけ、ミドガルドオルムに潜入する方法を話し合っていたヒヨが、サンドウィッチ をくわえたまま振り向いた。

「何だよ?」

「あ、いや…… 諜報員って、大変な仕事なんだな〜って」

ヒヨはたちまち鬼のような形相になると、口の中のアボガドを飲み込み、言った。

「いいからさっさと腹ごしらえしろ。んで、ミドガルドオルムに潜入する方法を、てめーも考えろ」

 指を突きつけられたテクラは、急いで袋からハンバーガーを取り出すと、かぶりついた。

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