人喰いの子供に、選択肢は無かった。イオキは観念して、社の敷地へ飛び込んだ。

 社の正面の階段を上がると、そこが本殿だったが、重い木の扉は固く閉ざされていた。イオキは縋るような思いで体を扉に押しつけたが、 重厚な鉄の飾りがついた扉は、うんともすんとも言わない。

「社に逃げたぞ!」

 背後で幾つもの声が上がる。

 イオキはゼエゼエと息を引き攣らせながら、そのまま本殿の周囲を囲む回廊を駆け出した。何本もの木の柱に支えられた、 外壁の無い回廊の内側には、格子の扉が連なっていたが、やはり、それらも全て閉まっていた。 古いがよく磨かれた床をこけつまろびつしながら、イオキはとうとう、裏へ回る角のところで打ち倒れた。

 もう駄目だ。
 倒れた拍子に吐いた血が、目の前の床を汚していく。
 喉に釣り針を引っ掛けられ、陸に揚げられた魚のよう。もうこれ以上、動けない。

 と、その時、近づいてくる松明の熱が、少しだけ弱まった気がした。

 イオキの霞む視界に、白い寝巻きに灰色のショールを羽織った小柄な老婆が、映った。 老婆はしばらくこちらを見下ろしていたが、やがて黙って格子の扉を一枚開けた。そして静かな声で、「中に入っていなさい」 と言った。

 あまりにも不意な僥倖に、イオキは即座に動くことが出来なかった。老婆が何者なのか、何故助けてくれるのか。 ひょっとして、罠なのか。

 しかし沈黙の後、イオキは何とか体を起こした。「ありがとう」と言おうとしたが、声が出てこない。そんなイオキに、 老婆は静かに頭を振り、彼が這うように扉の内側へ入ったのを見ると、ゆっくり扉を閉めた。

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