城壁の内側に入ると、まるで霧はミルクのように濃くなり、目の前に立つ人間の顔さえ見えない程になった。 濃霧の中を、街の住人が、ゆっくり歩いていた。車の姿は一切ない。時折、満載のリヤカーを牽引した自転車が通るが、 それも歩くのと大して変わらないスピードだ。

 白い霧の中に、昼間でも点けっぱなしになっている街灯の明かりがぼんやり輝き、 あちこちから楽しげな音楽が鳴り響く。その中を歩く人々の影は、まるで、朝靄のかかる湖を静かに泳ぐ魚のようだ。 柔らかく湿った霧が、死に至る病のように、少しずつ皮膚を冷たく蝕んでいく。

 レインもオリザに手を引かれ、ゆっくりと石畳の道を歩いていった。が、 やがて、妙なことに気がついた。すれ違う一瞬だけ顔が見える人々に、やたらと若者が 多いのだ。半分程が、ノキヤと同年代かそれより年下だろうか。

 レインは不思議に思ったが、その疑問が解決される時間はなかった。
 程なくして一行は、とあるアパートの一室に辿り着いた。

 今はもう使われていない、半地下のヴァイオリン工房が、彼らのアジトだった。

「たっだいま〜!」

 ダビドの陽気な挨拶は、製作半ばであちこちに放置された弦楽器の空洞に、よく響いた。 そして、じめじめして黴臭い部屋の雰囲気より、さらに陰鬱な雰囲気に、黙殺された。

「……あれ、どしたの?」

 天井からぶら下がる作りかけのヴァイオリン、棺のようなケースから覗く黒いチェロ。コンクリートの床に散らばるおが屑と楽譜と、 水道管から漏れた水。
 それらを照らすランプを囲み、数人の人間が、一斉にこちらを振り向いた。

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