夕食の時も、結局イオキは「要らない」の一言だけで、部屋を出てこなかった。
 タキオは肩をすくめた。

「あいつはしばらく様子見だ。何を聞いても『放っといて』の一点張りじゃあ、どうしようもない。 少しずつ警戒心も解けてきてるみたいだから、そのうち身の上が聞きだせるだろ」

ロミが眠っている間に、タキオからイオキに関するおおよその話は聞いたのだろう。ルツは、そう、とだけ言った。

「イオキ、お風呂にも入ってないよね? 私、声かけてみる」

 と、ロミは手の中ですっかり瑞々しさを失った蜜柑を置き、立ち上がった。

 明るく暖かい居間とは対照的に、廊下は暗く、冷たかった。ロミは電気を点けず、短い廊下をまっすぐ歩いていった。今晩一緒に眠るはずの、 ルツとマリサの寝室の前を通り過ぎ、老人の部屋の前まで行く。かつてはレインも、その部屋を使っていた。

「イオキ、起きてる?」

 ロミは静かに扉をノックした。必要以上にそっと、柔らかく。

 返事はなかった。

「ここ、お祖父さんの部屋なんだよ。お祖父さんそろそろ来るから、イオキもお風呂入って、着替えないと」

 やはり返事はない。

 ロミはそっと、扉に耳をつけてみた。そんなことをしたところで、寝息が聞こえるはずもない。案の定、耳の内側に鳴ったのは、 暗闇のような無音だけだった。

 この扉の向こうにレインがいるのだ、と暗闇の中で、ロミは想像した。レインは勿論、生きている。獣のように息を潜め、危険が通り過ぎるのを待っている。

 早く会いたい。

 大好きな人の側に、安らげる家の中にいるのに、どうして、いつからこんな、息をするだけで苦しいのだろう。

 あの、全てを呑み込むような漆黒の瞳になら、そんな質問も、言葉に出来るような、気がした。

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