イオキはもう一度溜め息をつくと、体を起こした。備え付けの紙を取り、綺麗に便器を拭いた。真っ赤に汚れた紙は、肉片もろとも、 便器の奥へ流し去った。そしてスカーフを被り、個室の外に出ようとした。

「あれ?」

 ところが、列車が揺れ、扉が大きくがたついた拍子に、掛け金が途中で止まってしまった。首を捻りながら、何回か動かしてみたが、 どうにもこうにも開かない。

「誰か……」

 内側から扉を叩いても、生憎、応答はない。

 大丈夫。きっと訝ったロミかタキオが探しに来てくれる。
 イオキはさほど慌てることなく、誰かが通りかかるのを待った。

 じっと暑さと悪臭に耐えるイオキの耳に、笛の音が響いた。

 イオキは、汗で額に貼りついた髪の毛を払い、扉に耳を近づけた。幻聴だろうか。

 耳を澄ませると、笛は二本あり、それぞれ別の旋律を奏でているが、実に美しく調和している。 二重奏は、次第に、弦や太鼓に合わさって膨らんでいく。列車の走行音を呑み込むようにして、 一等車両の方から、こちらへ近づいてくる。

 今にも踊りたくなるような軽快な調べに、イオキは思わず聞き惚れた。が、やがて楽隊の音が目の前にやってくると、 我に返って扉を叩いた。

「ねえ! 誰か! 開けて!」

 扉を叩く音に気づくことなく、楽隊は通り過ぎていこうとする。イオキは必死に叩く。

 すると不意に、掛け金が動いた。

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