ミトは、表情を変えなかった。

 瞬き一つせず、ただ、平静に、と心の中で呟いた。

 母親であり花嫁であるからこそ、彼女の言葉は、無上の蜜となるばかりではない。彼女の匙加減一つで、毒薬にもなる。 その毒に内心悶えても、それを表面に出すのは、二度も彼女を組み伏せた雄に、相応しい振る舞いではない。 分かっている筈ではないか。

 そう考えてみたが、しかし、そんな言い聞かせなど、何の役にも立たない。


 彼の心を侵食し、もはやその一部となった、イオキの深い緑の瞳。 一瞬も忘れ得ぬ、我が子と過ごした記憶。一瞬ごとに募っていく、愛し子への想い。


 彼女の言葉一つで、それらが森の奥から枝葉を伸ばし、女王の言葉と混ざり合い、劇薬となって彼の脳髄に流れ込んでくる。 彼の顔から、泡沫の笑みを消していく。


「イオキ、消えてしまったんですってね」

 黙っているミトに、女王は続けた。

「知っているのよ。あなたの元から消えて、もう一年近くにもなること。けれど大丈夫。あの子は生きているわ。私には分かる」

蜜と毒が目まぐるしく入れ替わり、蝶の如く乱舞し、鱗粉を肺にまき散らす。

「でも、あなたの元に帰ってきたとき、もうあの子は、あなたが必死に守ろうとしてきた我が子ではない」

 ミトは女王を見つめ返す。

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