その為にも、一瞬たりとも望遠鏡から目を離してはならない。 縁なし眼鏡の奥のトマの瞳が、瞬きもせずレンズの向こうを見つめる。 高性能レンズが映し出すのは、トマたちが潜伏するアパートから大通り一本隔てた奥にある、環境局の敷地内に生えるオーツだ。

 アリオは去年、このオーツに登りぬいぐるみを落としたところを、職員に見つかって逮捕された。 あれは『白鬚殿下の秘密の毒薬』を撒く予行演習だったのだ。 オーツの樹は他にもあれど、必ずこの樹で犯行を行うだろう、とトマは確信している。
 だからアリオが毒薬を手に入れた、と知ったその翌日にはこのアパートを借り、監視を開始した。 望遠鏡には、敷地内に生えるオーツの根本、作業用エレベータの乗降口が映るようになっている。 巨大なオーツは無数の葉に覆われ、全貌を捉えることなどとても不可能だが、少なくともここを見張っていれば、 樹に登る者を全て監視することが出来る。

 アパートの一階二階にある音楽教室から響いてくるピアノやらフルートやらの騒音に耐え続け、早幾日。
 いつの間にか、下手糞な音色は止んでいる。あれ程喧しかったはずなのに、訪れた静けさは、胃を鷲掴みにされたようだ。

 テレビを消し、緊張感を孕んだ声で、グレオが言った。

「話がややこしくなる前に、さっさと出てきて欲しいものだな」

 トマは黙って頷いた。

 一時間程も経つと、街の様相が混乱を呈してきた。休日を何気なく過ごしていた人々の雰囲気が、明らかに変わってきている。 何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながら、クレーター・テレビ局の建物に向かっていく。

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