この瓶の中身を環境局に持っていけば、マリサは助かる。

 通りを何本か違えた此処からでも、環境局の敷地に生えたオーツの姿は、よく見えた。否、それ以外、見えなかった。 人々の悲鳴も聞こえなかった。己の心臓と息の音以外は、何も。

 足元も見ずに踏みつけた柔らかい感触。立ち往生しているのを乗り越えた、車のボンネットの硬さ。 助けてとすがられ、振り払った人の手の温度。 それらも全て、感じなかった。ただ掌に握りしめた瓶の冷たさ、そしてルツの肩の小ささしか。

 人の肩に肩をぶつけ、標識に顔をぶつけ、鼻血を流しながらがむしゃらに走り、やがて、柵に囲まれた環境局の広大な敷地へ辿り着いた。 正門は閉ざされていたが、押してみると簡単に開いた。誰もいない。この瓶を、どこへ持って行けば良いのだろう?  立ち往生していると、女の声がした。

「レイン?」

 振り向くと、事務所らしき建物の窓から、青いツナギを着た女が手を振っていた。しきりに窓を叩いて合図してくるので、駆け寄ると、 いつか車でエッダの田舎まで送ってくれた、ニルノの恋人だ。口元をスカーフで覆っているが、やはりその顔色は悪い。 閉めきった窓の向こうから、彼女は声を張り上げた。

「その手に持っているのって、あの人たちが話してた、解毒薬……? いいえ、それよりあなた、毒を吸い込んで大丈夫なの?」

 レインは何度も頷いた。その様子を見たアイは、咳き込みながら、オーツを指さした。

「軍の人が噴出装置を回収して、あの上で待っているわ。六番の順路で登った先よ。私はここで、仲間と一緒に、ドームを開けようとしているのだけれど……  待って、今外に出るから! 私が瓶を届けるわ!」

 しかしレインはもう、オーツに向かって駆け出していた。

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