「我らが女王。母にして花嫁」

 と、不安定に捻じれた搭の上で、ムジカは囁いた。
 その体はくずおれ、膝をつき、地平線に消えゆく寸前とばかり輝く太陽のような瞳が、イオキを見上げていた。
 長い指が、イオキの頬に触れた。

「抱きしめてくれ」



 鞣したような褐色の皮膚。尖り気味の顎、真っ直ぐ通った鼻筋、全体的に骨格の美しさが目を惹く顔立ち。高く秀でた額にかかる、艶やかな黒髪。 真珠のような白目が引き立つ、切れ長の目。傲慢で、冷酷無比で、子供のように贅沢に溺れ、人命を弄んだ人喰鬼。



 嗚呼、哀れな人喰鬼――



 イオキはその手に、手を、重ねてやろうとした。


 ムジカの吐息が皮膚に触れた瞬間、それまで恐怖と混乱、ミトへの気遣いが独占していた胸の中へ満ちたのは、死にゆく同胞への涙無き哀れみだった。



 誰もこの哀れな男を助けてやれない、と何処かで、長い髪の何者かが囁く。けれど、抱きしめるくらい容易いことだ。 お前の指一本で良い夢が見られると言うのなら、幾らでもくれてやれ。




 せめてそれくらいの夢は叶えられるだろう、と祈りながら。





 二人の周囲に、砂煙が巻き起こった。思わずイオキは顔を背け、目を瞑った。その直前に見えたのは、ムジカの背後に現れ、彼を砂煙の中へ引きずり込むミトの姿だった。

 その口が大きく開き、鋭い牙が、ムジカの首に迫るのを、見た。



 目蓋の裏の漆黒の闇の中で、骨の砕ける音、人が喰われる音、鉄の臭い、血肉の臭いが、鉄条網のように絡まり合った。

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