この世でたった一人の、父親ではないか。この世で最も愛してくれる人ではないか。最も愛する人ではないか。



 どんな形であれ、辛く苦しい物、見たくない物、感じたくない物、全て消えた。 そして帰ってきたのだ、二人だけの世界に。幸福な揺り籠に。忌まわしい何もかもから隔絶された、森の奥に。


 それがもはや幻でしかないと、知っているが、構わない。
 一本の木も無い砂漠を彷徨う中で、その幻だけが、眠らせてくれる甘い露だったのだから――




 イオキは泣きながら、ミトの胸に飛び込もうとした。森の奥で、二人で暮らしていた頃のように。 物心つく前からレインに出会う日まで、ミトがそうさせてくれたように。

 しかし、その指が触れる直前、ミトが言った。


「来るな」


 言葉の意味を理解出来ぬまま、イオキは反射的に、動きを止めた。



 見上げると、微笑んでいるはずのミトの顔は、奇妙に強張っていた。青い瞳がゆっくりと動き、こちらを見下ろした。 と、その視線を塞ぐように、手が顔を覆う。指の間から覗く片目が、檻から出ようと足掻く小鳥のように、揺れ始める。

 そして、何が起きたのか分からず混乱するイオキの耳を、信じられない言葉が、打った。

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