「そりゃあ過労で倒れもするわ。休暇をもらう為に、直前の三日間、会社で徹夜するなんて」

 恋人の優しい声が、夢うつつに聞こえた。

 ニルノはソファベッドの上で、寝返りを打った。スイートルームの大きなベッドとは比べ物にならない、小さな固いソファだったが、 それでもその、色褪せた花柄の生地に染みついた自分の匂い、そして恋人の匂いは、世界最高の寝床だ。そしてこの、 白木の床や陽光が差し込む大きな窓。床に積み上げられた新聞記事のファイル、沢山の写真を留めたコルクボード、窓際に飾られたミニカー。

 一室しかないが、長い時間をかけて作り上げてきた、自分の城。そして恋人の気配。

 久々に感じる安寧の中に、ニルノはいた。まるで揺りかごの中の赤ん坊に戻ったような、気持ちだった。
 眼鏡をかけていないせいで少しぼやけた視界で、彼は恋人を見た。アーモンド色の肌に波打つ金髪をした彼の恋人は、 細身のパンツに肩の出たニットを着て、流し台の方からやってきた。

「お湯沸かしたわ。薬飲んだら?」

 アイの提案に、ニルノは素直に頷いた。アイは白湯の入ったマグカップと病院から出された栄養剤をニルノに渡すと、 自分はハーブティーの入ったマグカップを持って、ソファのそばの床にあぐらをかいた。

 ニルノが寝転がったまま、薬の封を切るのを見ながら、アイはハーブティーの湯気越しに言った。

「そうまでして一緒に旅行に行くんだもの、そのタキオって人、よっぽどあなたにとって大事な友達なのね」

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