イオキはベッドの足に縋るようにして立ち上がり、ドニを見下ろしすと、呟いた。

「お医者さん、呼ばなくちゃ」

 鼻も口も肥大した顔の肉に埋まったせいで、呼吸が出来ないのか。 或いは、心臓が胸の肉に圧迫され、動かなくなりつつあるのか。ドニの顔色は白く、手足は痙攣している。

 しかしイオキが凝視していたのは、その、人間とは思えない、あまりにも醜い姿ではなかった。

 およそ人間とはかけ離れた姿に成り果てた体を、さらに遠くへ押しやろうとする、長い腕。生まれて初めて接する、死の間際。
 ふとした隙に、自分も一緒に引き込まれてしまいそうな恐怖。逃げろ逃げろと誰かが叫んでいるのに、 何故か、そこから目を逸らすことが出来ない不安。まるで、漆黒の瞳のように。

「医者に何が出来る?」

 肉切り包丁を振り上げる手を止めず、テッソは言った。

「あらゆる医者を訪ねた。高額な薬も幾つも試した。しかしどの医者も匙を投げたし、どんな薬も効かなかった」

 節が白くなるほど強く、ベッドの枠を握り締めた指が、ぶるぶる震えていた。緑の瞳が乾くほど大きく見開き、 テッソの背中に向かって、イオキは掠れた声で呟いた。

「じゃあその肉は、何?」

 しばらく沈黙があった。

 やがて、テッソの答える声がした。

「私の祖母が言っていた。人間の心臓を特別な方法でスープにすると、万病に効くと。くだらない迷信だ」

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