別段、長い話ではなかった。長く話そうと思えば、彼女の人生について幾らでも長く語ることは出来たが、そこまでの体力も 根性も、アリオにはなかった。

 中流階級に生まれ、両親を早くに亡くした彼女が、古い貴族の家柄であった曽祖父と如何に出会い、結婚まで漕ぎ着けたか。 愛情など一切無く彼との結婚を成功させたか。

 彼女にとって地位や財産とは、己の体に新しい細胞が生まれ続けるように、 増えて当然の物だった。結婚した彼女は、一族の地位と財産を増強し、展開した。貴族など名ばかりの現代において一族は繁栄を極め、 アリオが生まれる頃には、国家クラスの財産を築き上げていた。賢い彼女はそれ以上領主の警戒心を煽ることなく、 引退を宣言すると、一族に未練はないとばかりに、ワルハラのとある高級老人施設に入居した。

 彼女の終の棲家となったその施設は、素晴らしい場所だった。湖を抱く森を丸まる一つ敷地とし、どこから見ても宮殿にしか見えない 建物に、百人の金持ちの老人が住んでいた。

 彼らは一人一人が王であり、女王であった。専任の召使が二人ずつ、常にかしずいていた。 最高の料理人が、最高の食材を使い、料理を供した。水泳でも乗馬でもオペラ鑑賞でも、望むことは何でも出来た。専用の病院が併設され、 何かあればすぐに医師に診てもらうことが出来た。それほどの人数がいたのに、施設の中は決してせわしくなかった。常に静謐だった。

 アリオはよく覚えている。幼い頃、家族に手を引かれて施設を訪ねると、天蓋付きのベッドの上から、曾祖母がこちらを見下ろしたことを。 美しい鏡のような湖、木漏れ日の降り注ぐ森。小劇場から聞こえてきたヴァイオリンの音色、料理人がくれた菓子の甘さ。
 そして、お付を連れ、絹の衣に象牙の杖で歩く老人たちの中でも、曾祖母が一際偉く見えたことを。

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