産まれてすぐ当時のワルハラ領主に引き取られ、五十八歳の時に最初の召喚を受けるまで、 ミトは女王の顔を知らず育った。

 彼女の胎から産まれる時と、彼女と交わりそのまま喰い殺される時。誕生の瞬間と、死の瞬間。 女王の顔をはっきりと見る機会は、そこしかない。彼女はたった一人、誰も足を踏み入れぬ深淵に棲んでいたから、 容姿を知る者は、実質いなかったのだ。

 桃色の長い髪をした、若く美しい女性だとは聞いていた。
 しかし、実際に現れた彼女は、ミトの想像を遥かに超えて美しかった。

 一目見た瞬間、息が出来なくなった。血管が蛇のようにうねった。腰から力が抜けた。

 そんな彼女を自らの腕に抱けるなど、夢のようだった。熱と息と体液が混ざり合う、忘我の境地。 獣よりも原始に近い、永遠の一瞬。このまま彼女に喰われ、文字通り一体になることが至上の幸福であり、 それ以外の選択肢などあり得なかった。

 もう二度と離したくない。

『……この感情を、人間は愛と呼ぶのかな』

 ようやく頬の火照りも鎮まり、息遣いも安らいできた彼女の体を抱いたまま、ミトは呟いた。

 二度目の邂逅の後、己の代わりに別のグールを食べることを了承させた後、彼女はまだ、 ミトを喰らいたいという欲望と戦っていた。彼女のことを考えれば一刻も早くその場を離れるべきだったが、 名残惜しさから、ミトは彼女の髪を撫でていた。

 閉じていた女王の目蓋が、うっすら開いた。

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