『君は僕を食べるべきだ』

 と、ミトは、彼女の耳元に囁いた。
 女王は首を振った。

『駄目。食べたくないの。何故かは分からないけど』

 囁くたびに、彼女の体はぶるぶる震えた。ミトは全身で、それを感じ取ることが出来た。女王は喘いだ。

『でもこのままでは死んでしまう。お願い、前の時みたいに、代わりを』

 ミトが彼女を抱き、生き延びたのは、その時が二度目だった。

 一度目は呆然としたまま、わけも分からず、彼女に言われるままに動くしかなかった。彼は五十八歳だった。 と言っても勿論、外見は若く美しい青年で、しかも初めて女性を抱いた直後だったから―― 本当は、最初で最後になるはずだったのだが――  戸惑う様は、十代の若者のようだっただろう。

 あれから五年が経ち、再び女王と交わったミトの心は、比較的落ち着いていた。
 あり得ない例外が再び起きた驚き、彼女の心境が理解出来ない戸惑い、そもそも手を伸ばすことすら躊躇われる、 神聖な母たる者への畏れ。それらは勿論、ある。

 しかし既視感によって、それらは大分和らげられていた。
 女王が何百年、ひょっとしたら何千年生き、何人の子供を産んできたのか、誰も分からない。ミト自身も 彼女から産まれてきたが、しかし彼の瞳に映る彼女は、処女の娘のようだ。 柔らかな大理石のような皮膚、美しい形の胸、ほっそりした一対の足とその奥、乱れ髪のかかった顔。
 その可愛らしい顔を歪ませ、必死に飢えと戦う様を、痛ましく、また、愛しく思うだけの余裕が、あった。

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