ミトは体を起こそうとした。彼女が戦っているのは、今目の前にいる獲物への欲望だ。少しでも距離を置いた方が、 彼女にとっては楽だろう。そう思ったのだが、彼女はそれを拒否した。

『駄目。行っては駄目。ここにいなさい』

 女王の命令に逆らうことは出来ない。ミトは仕方なく、彼女も一緒に起こした。主に髪の毛の重量だろう。彼女は 墓から起き上がる死者のように重かった。座位になり、向かい合わせに彼女を抱いた。

 女王はミトの肩に頭をもたせた。鎖骨の下にかかる吐息や断続的に震える睫毛、絡まった足などが熱くうねっているのは、情欲の名残だろうか。 ミト自身には、忘我と恍惚の余波はほとんど無かった。適切に愛情を表現し、冷静に事態を処理する、服を着ている時と全く同じ彼だった。
 彼は女王の頭を包み込むようにし、優しく言った。

『五年前のようには、出来ない』

『……何故?』

『あれはあまりにも危険で稚拙な方法だった。僕の仕業だ、と勘付いた者もいただろう。あれから五年しか経っていない今、 もう一度同じことをしたら、今度こそ真実が明るみに出るかも知れない。そうしたら、僕はもうワルハラの領主ではいられなくなる』

 五年前。

 イオキが己が人喰鬼であることを知り、ムジカが女王の元に召され、愛児不在の空虚を抱えたままミトとコンが吹雪の日に 会話することになる、十七年前。

 そう、ミトと女王の間に、コンが産まれた時のことだ。

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