レインはルツと手紙を見比べ、やがて、手紙へ手を伸ばした。その表情を見たルツは、静かに手紙を差し出してくれた。

 何を書いたのか、殆ど覚えていなかった。半年も前の自分なんて、どこか石畳に染みついた影のような、薄気味悪い他人のようだ。
 けれど、その呼びかけは、どれだけ己が遠くへ行こうと、常に、胸の底で反響していた。羊たちの唄や、鉄条網の冷たさや、緑色の瞳と共に。
 手紙を読み始めた瞬間、レインは、そのことに気がついた。


『ルツ、マリサ、おじいさんへ。

 セムのおじさんが、鹿を殺してきました。畑を荒らしていた鹿だそうです。今、庭でバラバラにしています。 今日の夕飯にする、とおばさんが言っています。俺は鹿を食べたことがないので、どんな味がするのだろう、と思います。 ルツたちは食べたことありますか?

 手紙の返事がうまく書けません。そのかわり、今、鹿の死体を見て、思ったことがあります。そのことを書きます。

 鹿の死体を見たとき、俺は、自分が死ぬことを、想像しました。
 初めて檻から出たとき、死んでいたかもしれない。鉄条網のところで左手を喰われたとき、死んでいたかもしれない。 『人間農場』から逃げ出したあと、死んでいたかもしれない。
 そのときは結局死なず、今は生きているけど、いつかは、あの鹿みたいに、死ぬ。

 そして、誰かに喰われる。

 そして、誰かが一日生きる力になる。

 そう考えると、何だか、早くその日が来てほしい、と思うのです。

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